毎年、年初めは鎌倉 松原庵。
風もなく天気もいいので、松の手入が心地いい。
うちに来ていたバイト扱いの者が、初日に俺の携帯に着信になっていたまま音信不通に。
携帯に何回電話してもでない。
事故でもあったのではないかと心配し、自宅を訪ねて両親に話しをするとそんな事はないとのこと。
とりあえず安心した。
動きも悪く、口数も少なかったので彼の為にも、もう他の業種の方を勧めようか、真剣に考えていたところだった。
やっと通じ、無断欠勤のあげく連絡してこない事は絶対に許さないので、荷物をまとめて取りに来させ最期の予定だった今朝。
少しの時間でも時間を共有したのだから、皆に挨拶してから辞めて行けよと伝えた。
時間を決めたのに、それも来なかった。
ようやく、さっき来た時はうつむいたままはっきり言葉を話せない。
そんなしょぼくれた姿を見たとたん、渇を入れた。
約束を破り、辞めて行く事に対してではない。
みんな本当に事故でもあったのではないかと心配していたのに、実際は遊んでいただけ。
本当に情けなくなった。
顔を合わせづらいのは分かる。
怒鳴りながら、最期に何でもシマイの時はきっちりしろと言った。
これからお前がどんな仕事に就こうが、ものの筋道だけはきっちりつけて生きていけと。
いつも猫背で、伏せ眼がちな青年に、「いつか俺の目をみて話が出来て、自分の生き方に自信が持てる様になったら、一杯飲ましてやるからいつでも来い」別れ際に伝えた。
何年か、何十年か先に俺の言った事の意味が、少しでも分かってくれる様に人生を重ねてくれるといいな。
最近、筋の付け方にこだわらない若い世代が多い。
自分はこれからの日本を考えると、危機感をおぼえてならない。
古いかもしれないけれど、スゴク大事な事。
近年のゆとり教育がもたらしたものは何なのか。
人間関係で人の上に立つ事を面倒がる人も多いけど、小さい所帯で微力だけどもその辺の大切さを教えていきたい。
古くさいかな。