生きる道。

この連休を利用して、友人家族が遊びに来てくれた。

自分は、愛知県豊田市 保見ヶ丘という所に10歳まで住んでいました。

彼とは小学1、2年生の時にクラスが同じだっただけ。

田舎だったのだろう。

街にはスーパーが一ヶ所しかなく、彼の親もうちの親もそこでパートで働いていたので30年振りに会えた事を母親は喜んでいた。

彼との繋がり。。。

不特定多数の人々が観覧できるこのブログで、書くかどうか悩みましたが自分の親しい仲間も多く観ているのであえて書こうと思う。

自分ら世代が中学3年の10月の事。

世間ではバブルに向けて浮かれていた昭和の終わりの頃。

3人乗りのバイクが車と衝突し、運転していた者が死亡した。

運転していた者は、自分が幼稚園から家族ぐるみの付き合いだった。

10歳の時、自分が横浜に引っ越しする当日も、自転車で見えなくなるまで車を追いかけて来てくれた。

それが彼を見た最後になった。

運動神経も良く、頭もキレる彼はいわゆる不良グループの中心になっていた。

その事故で亡くなった幼馴染みの後ろに乗っていたのが、今回訪ねて来てくれた彼だった。

亡くなった幼馴染みの両親とは、未だに交流があるので、小学1,2年が同じクラスだっただけの彼とは30歳を過ぎてからそこで繋がり、たまに手紙のやり取りなどをするようになった。

中学生が、盗んだバイクで3人乗りで死亡事故を起こした事は、愛知の田舎街では大きな二ュースとなり当時の自分も大きな衝撃受けた。

大怪我を負い、自分の目の前で仲間が死んでいくのを目の当たりにした彼の心の傷は想像もつかない。

世間からしてみれば自業自得。

この事件で高校も行けなかった彼は、その後職を転々とし苦しんだ末、数年掛けて世界数10ヶ国に貧乏放浪の旅に出る。

その後、遍路で四国八十八箇所を巡り、32歳で高校に入学し卒業後介護の仕事に就きながら今、大学の通信講座も受けている。

この年齢になり自分の道を歩きはじめた。

今回訪ねて来てくれた事に不思議な縁を感じる。

今と違いベビーブームの中、学校では大人数の中で個々の特性など細かく見い出して貰えなかった自分ら世代。

その事故で大怪我を負い退院した後、全校生徒の前で謝罪させられた事。

同じ地域の子がいじめで自殺したのを、全く関係のない彼らグループのせいにされ傷つき更に自分を見失って行った事。

そんな事がまかり通っていた当時の教育の現場。

悲しいし、悔しい。

だから逆にみんな逞しい。

自分は恥ずかしながら、人生様々な事が繋がっている事に、最近気づき始めた。

人生という大海原。

あなたはどう生きていますか。

自分の信じた道を進んでいますか。

「生きる道。」への2件のフィードバック

  1. Unknown
    世の中は景気のよさに浮かれて活発だったけど、子供が多い中競争が激しく一つの価値観を上から押し付けられているような時代でしたね・・・
    いい大学にいって、いい会社に入るのが世間の全てのような・・・
    歯車になれないものはそれこそもがきながら模索していくしかなかった時代。
    ただ景気はよかったんで世の中にはもがくだけの余白があったような気がします。
    そう考えると今の若い世代も気の毒ですが・・・
    それでもいやなことばかりじゃなくいいことも一杯あった時代を生きてきた自分ら一人ひとりが、逞しく生き続けることで
    もっとよい時代に、もっとよい国にしていきたいですね。

  2. Unknown
    千葉のヨッパライさん

    そうですね。

    俺ももう一踏ん張りも、二踏ん張りして色んな事に挑んで行きたいです!

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